Smart Liberty

とある集まりで、みんなが書きためた作品を発表する場として作りました。

誉め言葉

               九重颯希

 雪名真白の朝は向かいの家のインターホンを押すところから始まる。閑静な住宅街の一角にある赤い屋根が目印の可愛らしい家のインターホンだ。
 ピンポーン
 家の奥からトテトテと軽い足音が響いてくる。真白は肩にかけた制カバンの取っ手を握り直す。ちゃんと家を出る前に鏡で確認したから大丈夫だ。どこも可笑しいところはないはずだ。
「おはようございます! 真白ちゃん!」
 玄関の扉が勢いよく開けられる。中から近所の中学校の制服を着た女の子がまだエプロンを身につけたままの格好で飛び出してきた。
「ちょっと待っててね。兄さん、もう少しで来るはずだから。兄さん早く! 真白ちゃんもう来ちゃったよー!」
家の中に向かって女の子は叫ぶ。真白はそっと息を吐き出す。
「楓ちゃん、いいよ。どうせすぐに追いつくだろうから、先行ってるね」
 少々無愛想に言うと、真白はさっさと楓に背を向けた。
「えっ、でも…」
「いいの」
 まだ不満そうだった楓を無視して、真白は小走りで私鉄の駅に向かった。

「おっはよー」
 能天気な声とともに楓の兄の恭介が二階から降りてきた。
「あれ? 真白は?」
「真白ちゃんなら、先行ってるって言って行っちゃった…。兄さん、何かしたの?」
 怖い顔で睨みつけてくる義妹を横目に、恭介は思案顔で革靴に足をつっこみ、制カバンを肩にかけ、玄関の扉の取っ手に手をかけた。
「いや? 特に。いつもどおりだと思うけどなあ」
「うっそだあ。真白ちゃんがあんな不機嫌な態度する時は、絶対兄さんが関わってるもん。余計なことでも言ったんでしょ?」
 さあね、と恭介は妹の言葉を流すと真白を追いかけるべく駆け足で駅に向かった。
 結果として、恭介は真白に追いつくことができず、追いつけなかったのは妹が出際に話しかけてきたからだ、ということにしてささくれだった心を落ち着かせる羽目になった。
 生徒会に所属している恭介に会わせて、帰宅部の真白はいつも教室で自習をしていたが、今日は仕事がないので直帰出来ると真白の教室に行くと、既に彼女の姿はなかった。
 近くの女生徒を捕まえて、真白の所在を聞くと、SHR後にすぐに教室を出ていったということだった。
「俺、何かしたかなあ。マジで」
 小さい頃からずっと一緒で、今までいろいろあったが上手くやってきたつもりだ。きちんと彼女が好きな冬に一緒にかまくらと雪だるまを作った後に南天の木の前で告白をして、きちんと返事をもらって、浮気もせずに誠実に絶賛お付き合い中だ。我ながら、上手くやっているほうだと思う。

「一体、何がまずかったんだろうか」
 恭介は気だるげに帰宅途中だった田中を捕まえると、今日の真白の行動について語った。
「いやあ、それ絶対君が何かしたんだよ。雪名真白さんでしょう。あの子、気立てが良いって噂じゃん。大事にしなよ、そういう子、ゴロゴロ其の辺に転がってないんだから」
「噂じゃない。本当に良いぞ、気立て」
「へえ、で、惚気けたいの? 眠いんだけど」
 田中は歩きながら船を漕ぎ始めた。
「いや、惚気たいわけじゃないんだ。真白と今日一回も話してないんだ。これは死活問題だ」
「あ、そう。惚気けたいのね」
 何故か相談に乗ってくれると有名な気だるげ田中にも絶望的な眼差しを向けられ、恭介の問題は全く解決しないまま二人とも高校の最寄り駅についた。
「じゃあ、オレこっち方面だから」
 そう言って、田中は上り電車に乗っていった。下り電車はもう間もなくやってくるようだ。
 ホームに滑り込んでくる電車に大勢の学生に流されるようにして乗り込む。いつも他愛ない会話をしながら乗っていた電車はひどく遅いように感じられた。

 玄関の扉を開けると、楓がムスリとした顔で仁王立ちしていた。
「兄さん、真白ちゃん髪切ってたんだけど」
「髪ぐらい切るだろう…お前だって先週切ってたじゃないか」
「腰まであった長い髪をいきなりショートカットに?」
「ショートカット!?」
 恭介は悲鳴に近い声を上げた。
「今日、学校帰りにあったらショートカットになってた」
「何で!?」
 恭介は真白の雪のように白い肌と濡れたような黒髪のコントラストをたいそう気に入っていて、彼女もそのことを知っているから、あの長さをここ数年キープしていたはずだ。
「兄さん、デリカシー無さすぎ! 乙女心を全然わかってないよ。昨日、真白ちゃんと帰るときに、『髪伸びたね、昆布みたいだ』って言ったんだって? バカじゃないの?」
 すごい剣幕で捲し立ててくる妹に恭介は一歩引き下がる。
「いや、CMで『これで貴女の髪も昆布のようにコシのある黒髪に』って言ってたから褒め言葉のつもりだったんだけど…」
「どこの女の子が彼氏に昆布みたいな髪だねって言われて喜ぶのよ! 謝ってきて!」
「今!?」
「今すぐ! ほら早く! ぼさっとしない!」
 恭介は楓に命じられるままにさっき帰宅した時の格好のまま、向かいの家に向かった。既に夕暮れ時で、二階の真白の部屋には明かりが灯っていた。
 いつも真白が恭介を迎えに来るので、恭介は彼女の家のインターホンを押したことがほとんどない。よくわからない高揚感とともに恭介は彼女の家のインターホンを鳴らした。
「はい」
「恭介です。真白さんはいらっしゃいますか?」
「あら、恭介くん。ちょっと待っててね」
 応対に出たのは彼女の母親だった。いつもと変わらない雰囲気でホッとする。
 すぐにガチャリという音ともに玄関の扉が開き、真白がひょこりと顔だけ出した。
「どうしたの」
 いつもと変わらないようだが、どことなく棘が含まれている気がする。妹の言うとおり昨日まであった立派な黒髪は消え失せ、綺麗なショートカットになっていた。確かに黒髪ロングも好きだったが黒髪ショートもグッとくるところがある。
 思わず恭介は真白の顔をじっと見つめた。
「ど、どうかな。たまにはショートもいいかなって」
 真白は落ち着き無く視線をあちらこちらに彷徨わせながら、毛先を指で弄んだ。
 ここで、昨日のことを謝るべきだろうか? いや、それとも何も触れずに褒めたほうがいいのだろうか。
 恭介はしばらくの逡巡の後、笑顔で答えた。
「似合ってるよ、真白。これからの時期はどんどん暑くなるしね。ショートも涼しくていいと思うよ。冬になったらまた伸ばしてよ」
「でも、昆布みたいなんでしょ」
 真白はすっかりその件で拗ねてしまったようだ。
「あ、いや、それはあの…コシがあっていいねというか、褒め言葉のつもりで…。決して真白のロングヘアが重たげで見苦しいとか、そういう意味じゃなくて…」
 しどろもどろになりながら答える恭介を真白はじとりと見上げる。
「ま、別にいいよ。そろそろ切ろうと思ってたし」
 別に気にしていないという風を装っているが、まだご機嫌斜めなようだ。
 恭介は奥の台所で彼女の母親が鼻歌混じりでご機嫌に夕食の準備をしているのを確認すると、彼女ごと家の中に入り、そして、彼女を玄関の扉に押し付けた。
「髪が短くても長くても、俺の中での一番は真白だよ。ていうか、髪の長さ如きでお前の評価、変わんないから。あと、避けられると結構傷つく…」
 耳元でそう囁きかけ、恭介は真白の額に口付けを落とすと、真白は白い肌を薄桃色に染め上げた。
 その様子に満足すると恭介は玄関扉の取っ手に手をかけた。真白はスルスルと壁の上を滑るようにして、玄関扉からどく。恭介はまた明日、と手を振ると、真白の家を出た。恥ずかしいのかなんなのか知らないが、彼女は終始俯きっぱなしだったのでよくわからないが、これで明日からいつも通りの生活に戻れるはずだ。
 どうも彼女のいない生活は味気ない。
そうだ、明日は早起きして真白を迎えに行ってやろう。きっと驚く顔を見られるに違いない。
恭介は真白の驚いた顔を想像して一人ニヤニヤしながら帰路についた。


END